世界がスカスカだった私が、家を手放して日本全国を渡り歩く旅人になるまで

はじめまして!

ブログ 『マニアック観光案内所』の案内人の、軽井沢貴美子と申します!

これから、日本のディープな旅のお話をご紹介する前に!!

まずはじめに、私が旅をすることが好きになったきっかけと、

そこに至るまでの経緯をお話ししたいと思います。( ̄▽ ̄)

※当ブログの一部の記事には、広告が含まれていますm(__)m

20代前半の暗黒期

私は静岡県の伊豆地方で生まれ、

幼少期~20代後半までほとんどの時期は、

神奈川県の横浜市に住んでいました。

のちに地方移住に目覚める訳ですが…

いわゆる都会っ子というやつでした。

20代前半までの私の世界は、女優・歌手を目指して歌のレッスンと、生活費を稼ぐための派遣の仕事だけで埋め尽くされていました。

恋愛も禁止、友達と旅行に行ったこともない。

欲しいものは我慢を繰り返し、、

 遊ぶってなんだっけ…?

ある日ふと立ち止まったとき、私は気づいてしまったんです。

『歌詞を書こうにも、自分の中身がスカスカだ』と――

そして、諦めきれない夢と

所属していた芸能事務所の仲間たちへの申し訳なさを抱え、

断腸の思いでその世界から離れることを決めました。

またいつか、自分という人間の経験値をあげて、最高の歌を歌おうと決めて。。

本との出会いとミニマリズム

私は20歳の頃から読書にハマり、たくさんの本を読み漁っていました。

なかでも、最初に人生を大きく動かしてくれたのが

『そうじ』にまつわる本です。

部屋と心は繋がっている、成功の秘訣はそうじにある…など。

数多くのそうじと人生の関連性を知り、

物を捨てる快感も覚えました。

気づけば現代でいうミニマリスト的な部屋になっていました。

家に遊びに来た同僚や友人も

『服それだけで大丈夫なの…?』

と本気で心配をしてくれていましたが(笑)

私はこの物の少なさが、とても心地よかったのです。

ただ、ケチケチと物を減らしたいわけじゃない。

物の数は最小限にして身軽でいたいけれど、

人生の『豊かさ』や心の贅沢は絶対に忘れたくない。

当時はなかなか理解されませんでしたが、

そんな私だけの心地いい空間でした。 

そして部屋が片付きすぎて身軽になったとき。

私はあることに気付いてしまいました。

「あれ?これ、家も手放せるのでは……?」と…!!(@ ̄□ ̄@;)!!

鳥取への恋とリゾバ生活

その頃私は、事務所を辞めたあと、

東京で会社員として平凡に働いていました。

毎日の満員電車に嫌気がさし、東京の人の多さや、

競争社会に疲れていました。

その時期なぜか、やたらと鳥取県が気になるようになっていました。

スターバックスが初めてオープンしたニュースや、

『スタバはないけど砂場はある!!』で話題となった

平井知事のユーモアあふれる発言に、理由は分かりませんでしたが、惹かれ始めていました。

また、鳥取県を調べてみると、

山陰地方の海がとても美しかったり、

可愛いマスコットキャラクター『トリピー』の存在も知りました。

天使のようなトリピーに癒され(?)

ますます鳥取県に興味を持つようになりました。

そして、都会に疲れていた私は、

鳥取県の人口が日本一少ないことを知り、

『ここに住んでみたい』と思うようになりました。

お金がない…新橋のアンテナショップで崩れ落ちかけた日

その後、しばらく冷静に考えてみましたが、

どうしてもこうしても鳥取に住んでみたい気持ちが収まりませんでした。

そこで、会社帰りにふらっと寄れる距離の新橋に、

『とっとりおかやま新橋館』という鳥取県・岡山県のアンテナショップを見つけました。

はじめはアンテナショップが何かも分かりませんでしたが、

鳥取は関東からも距離があるため、旅行に行くにも当時の私にはハードルが高く、

藁にもすがる思いでアンテナショップを訪ねてみました。

そこにはインターネットや旅行雑誌で見ていた憧れの(?)

トリピーグッズや、ゲゲゲの鬼太郎のお土産品、

色とりどりの名産品などが私を出迎えてくれたのです…‼(´;ω;`)

とっとりおかやま新橋館は、

1階にお土産品コーナーがあり、2階には鳥取と岡山の食材などを使ったレストランがありました。

そして、なんと3階には…

観光・移住相談窓口がありました(@ ̄□ ̄@;)!!

これはチャンスかもしれない!!と思いすぐに窓口の方に相談をしました。

その後も何度か通い、移住担当者とやり取りを重ねて、

どうにか移住できる方法を模索していました。

でも、現実問題として、現地での仕事探しや、

引っ越し費用、新しい家を借りるための貯金を考えると、

当時の私の給料ではあまりにも壁が高く、

『やっぱり今の私には無理なのかな……』と、

新橋の駅前で何度もため息をついていました。 

東京で働きつつも、心は気付けば鳥取県にありました。

運命の出会い。お金がなくても日本中を旅する方法があった!

横浜で古いアパートに一人暮らしをしていた当時の私にとっては、ある種の現実逃避から始まった鳥取県への『移住計画』

しかし、当時の私は27歳になっても、

一人で新幹線に乗ったことすらなく…

10代から仕事とレッスンに明け暮れていたため、知り合いも少なく本当に視野の狭い人間でした。

 鳥取県へ移住をするには移住支援制度というものがありましたが、うまく活用できる制度が私の条件には少なく、

仕事が先か家が先かのスタート段階でつまずいていました。

自分の力ではもう、どうすることもできないのかと頭を抱えていました。(;一_一)

ある日、諦めきれずに、求人サイトを探し回っていたとき。

偶然目に留まったのが、運命の言葉「リゾートバイト(リゾバ)」でした。

リゾートバイトという言葉は聞いたことがあったけど、

学生や若者がやるようなバイト(?)であって、私はもう20代後半の普通の会社員だし…

と自分とはかけ離れた世界のイメージでした。

ふと、自分の部屋を見渡すと、

物は少なく、生活するのに必要な物はごくわずかである事に気付きました。

住み込みで、家賃光熱費不要! 

家具家電もなくていい。そしてお金も稼げる。

さらには『全国どこでもいけます!』という

今の私に、おいしすぎる言葉に、

『あれ?旅ってお金がなくても行けるんだ……!』と、

脳を殴られたような衝撃を受けました。

20代後半だし今さら……という年齢への抵抗や、

世間からの目、これまでの思い込みも、

この瞬間にすべて捨てました。

そして数日後、まだ会社員の私はリゾートバイトを派遣している会社へ登録に行ったのです。

そんなこんなで、あれよあれよと色々な物と思い込みの枠を外して、

少しずつ私なりの自由を手に入れていきました。

リゾートバイトの派遣会社へ登録に行った日には、

なんと、、、

テーブルの上にるるぶ(全国分)をぎっしりと並べられ、

『どこに行きたいですか?(^▽^)/』と担当者に言われました。

私は当然甘い蜜に誘われ、鳥取へのリゾートバイトを決意。

正社員で働いていましたが、

会社にも退職する事を伝えました。

そこから鳥取移住の幕がついにスタートしたのです。

はじめての県外引越し。はじめての移住。

そして、27歳にして人生はじめての一人新幹線。(笑) 

そのときすでに、まわりの友達はどんどん結婚していく中で、

横浜からほとんど出たこともなかった人間が、

急に『わたし、鳥取に住む!!』

なんて言いだすものだから、まわりは少し戸惑っていた様な気もしました(笑)

今振り返れば、だからこそ身軽だったのかもしれません。

家族との繋がりが普通の家庭よりも薄かったり、

友達も少なく信頼できる2~3人程だったので、

横浜への未練や寂しさはあまりなかった気がします。

『住む場所って、もっと自由に選んでいいのではないか…?』と、

都会で暮らしていることへの疑問さえも抱いていました。

そんな私でしたが、引越しの準備でさらに物が少なくなり、

スッカラカンになった部屋を見渡したとき、

だんだんと切ないさみしさが込み上げてくるようになりました。

会社でも、最終日に同僚たちがみんなで鳥取への移住を応援してくれて、

手紙を貰ったりあたたかい言葉をかけていただいたりと、

とても胸が熱くなったのを覚えています。

同時に、今まで抱いたことがなかった『自分が育った場所』への深い感謝の気持ちも湧いてきました。

定住の覚悟はまさかの「1ヶ月」で幕引き。絶望のどん底で天井を見つめていた夜

こうして、私は大きな覚悟を胸に、人生初の一人新幹線に乗って憧れの鳥取へと飛び立ちました。

季節は冬でした。重たいキャリーケースとかじかんだ手、白い息…

生まれの地である静岡県を新幹線で通りすぎたとき、

一人で涙していたのはここだけの話です(笑)

「もう横浜には戻らない。ここで新しい人生をスタートさせるんだ」

そう固く誓っていた私ですが……

人生は本当に何が起こるか分かりません。

なんと、定住するつもり満々だった鳥取での生活は、まさかの「わずか1ヶ月」で幕を閉じることになります。

慣れない環境、思い描いていた現実とのギャップ。

私は完全に心がポキッと折れ、まるで負け犬のようにトボトボと関東へ引き返し、

伊豆の祖母の家に逃げ帰ることになったのです。

周りの友達には「鳥取に移住する!!」と大見得を切って出てきた手前、

恥ずかしくて「もう帰ってきた」なんて絶対に知られたくない。

物を捨て、一人暮らしだった部屋の家具や家電も、もう戻せません。( ;∀;)

両親は別々に住んでいて、親との関係もあまり良くなかったため、実家という帰る場所も私にはありませんでした。

手元の貯金も、これからの交通費すら怪しいレベル。

祖母の家で数日間、天井を見つめながら

「私の人生、これからどうなっちゃうんだろう……」と、

本当の絶望と焦りを味わっていました。

――でも、今振り返れば、この「大失敗」こそが、

私が日本全国を泥臭く、

だけどたくましく渡り歩く「本物の旅人」に生まれ変わる、

本当のスタートラインだったのです。

『マニアック観光案内所』へようこそ! 

頼れる実家もない、家具家電もない、お金もない、

友達にも言えない……。

 27歳にして、文字通り「身一つ」のすっからかんになってしまった私。

でも、だからこそ、ここから先の私の生き方は、

誰に何を言われようと「自分で選ぶ」しかありませんでした。

ここから私は、焦る気持ちを抱えながら、とにかく次の仕事を見つけるために、別のリゾバ派遣会社へと駆け込みます。

そこから栃木、長野、沖縄、そして生まれ故郷の伊豆・修善寺へ……。

激動のリゾバ生活とコロナ禍での葛藤を経て、

2022年に再び家を借り新生活を始めるまでの怒涛の5年間が、ここから幕を開けることになりました。

さまざまな土地を渡り歩き、

酸いも甘いも噛み分けたこの期間を経て、

現在、私は巡り巡って大好きな「静岡県」に帰り、

自分なりの身軽で豊かな暮らしを営んでいます。(*´▽`*)

20代前半の、あの「世界がスカスカで、見えない枠に縛られていた私」はもういません。

日本中を自分の足で歩き回った結果、

日本地図と作務衣を愛し、

マンホールや標識、離島や秘境駅、絶景、スピリチュアルや心理学にまでアンテナを張る、

とことんマニアックなオタク旅人に進化を遂げました。

今、物価高で「旅行なんて行けない」と諦めてしまったり、

「会社が合わないけど頑張らなきゃ」と、見えない枠に縛られて息苦しさを感じている人がたくさんいるかもしれません。

でも、思い込みを一度捨ててみれば、もっと自由に、身軽に生きていいんです。

 このブログ『マニアック観光案内所』では、

私が10年以上かけて見つけた日本のディープな裏側の魅力と、心が豊かになる身軽な生き方をお届けしていきます!

有名観光地だけじゃ物足りないあなた、

私と一緒に、誰も知らないマニアックな日本の裏側を旅しに行きませんか?(*´ω`*)

次回予告: 

わずか1ヶ月で敗走した、あの憧れの「鳥取」で、一体何が起きたのか……!?

そして、貯金ほぼゼロの絶望から、どうやって栃木・長野・沖縄への大逆転リゾバ生活が始まったのか。。。

次回は少しお休みして、最新のマニアック旅記事をお届けしたあと、

こちらの続きをじっくりお話しさせていただきます♪ お楽しみに!

おわりに

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!

 初めてのブログでドキドキしながら書きましたが、

私の格好悪い過去も、

これからの旅のワクワクも、すべてこの場所から発信していきますので、よろしくお願いします。

もし「おもしろかった!」「続きが気になる!」と思ってくださったら、ぜひブックマークやコメントなどで応援していただけると、とっても励みになります!(≧▽≦)

私も2年間の旅生活の中で、こういった大手のリゾバサイトを活用しながら全国を渡り歩いていました。気になる方はぜひ覗いてみてくださいね!(*´ω`*)

それでは、また次の「マニアックな旅」でお会いしましょう!!!(^^)/~~~♡

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